20%引かれたらなにが残る?

20%引かれたらなにが残る?

私は18歳になってから、毎回選挙に行っている。

最初の頃はよくわからなかったし、誰に入れたらいいかも知らなかった。

それに、当時の自分は年金も税金も自分で払っている感覚がなかった。

そりゃ自分ごとじゃないよな、と今なら思う。

 

私は25歳になっても、必ず選挙に行っている。

投票日前は必ず選挙公報を読んだり、その人のWebサイトを見たりしている。

本当に軽くだけど、候補者を選ぶようにしている。

最近は、開票後に自分の投票した人が当選しているのか?が気になるようになった。

 

社会人になり、自分で稼いだお金から税金が引かれ、毎月引かれている税金に憤りしか感じないからだ。

なぜ、給与の20%も税金で引かれなくてはいけないのだろう。

毎日ニュースでは様々なものが値上がりしていて、確実に暮らしと直結していて、払うお金が増えているのにどうして給与は上がらないのだろう。

 

これは直近の話ではない。

少なくとも私が生きてきた25年の話ではない。

私はただ生まれて、ただ生きてきて、ただ社会人になっただけなのに、どうしてこんなに国に政治に怒りを持っているのだろう。

そして、どうしてこの怒りを示すことは「落ち着きなさい」と言われるのだろう。

 

国民が落ち着くことで、この25年世の中が良くなったのか?

選挙に行かないことで、政治家は国民の意思を汲み取ったことがあったのか?

白票を入れることで、政治家が自分の過去を振り返ったことがあったのか?

 

全部、なにも変わってないじゃないか。

少なくとも私が生きてきたこの国に、良くなったときなんてありゃしない。

いつだって小さな頃から「不景気」「デフレ」「消えた30年」と耳にしてきた。

なにが良くなってきた。言ってみてほしい。

 

私が毎月引かれる税金に毎月怒りを示すのはおかしいことなのか。

みんな、思ってることじゃないのか。

 

自分はもう大人になってしまっているのに、私以上に暗い未来を見ている子供たちがいることが悔しい。

自分の歩いてきた見てきた道よりも、もっと大変としか思えない。

私は少しでも楽しい大人として生きていきたいし、まだ絶望はしたくない。

 

明日からも、来月も、私は毎月給与の20%を税金で引かれるし、毎月怒っていく。

それでも未来は目の前にしかないので、怒りながら、自分にできる大人としての義務を果たしたいと思います。

それがきっと大人のできる唯一のことだと思うから。

 

あーあ、世の中綺麗事にしかならんな。

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