「来てもらう」という地方の感覚

「来てもらう」という地方の感覚

このnoteを読んで「私が感じていたことはこれだ」と思った。

この割れ切った世界の片隅で

地方で育ち、東京を感じたことがある人が一度でも思ったこと。それが書いてある。
ぜひ、読んでみて欲しい。

 

個人的に周りに言っていたことがある。

「芸術・美術に触れる機会が、地方と東京では差がありすぎる」と。

私は旭川で生まれ、釧路→札幌と暮らしてきた。
たくさんの自然に囲まれながら、高校卒業の18歳まで北海道にいた。

大学進学と共に上京した私が最初にびっくりしたのは人の多さ。
山手線の各駅=札幌駅という感覚。
今まで人のたくさんいる駅は1つだけだった私にとって、どの駅で降りても人ばかりの東京は目眩がした。

そして、美術館の多さにもびっくりした。
私の住んでいた札幌市にはモエレ沼公園や芸術の森美術館という芸術・美術に触れる場所はあるが、正直そのくらいだ。
展示をやっているところなんて数える程度しかない。

東京では「やっている」という感覚だろうが、札幌だと「来てもらう」なのだ。

音楽の公演等も「来てくれるの!?」と思っていたし、大きな展示会もそういう感覚だった。
選択肢が限られている。

私は芸術・美術を楽しむには心の余裕が大事だと思っている。
どんなことも、余裕が大事なのだ。

その余裕ってどこから来るのだろうか。
お金、仕事、プライベート。人それぞれだろう。

どんな機会も平等にするのは難しいが、せめて教育だけでも、子供の触れる教育という機会だけでも増やせないのかなと思ったりする日々。

地方は親の環境が顕著に子に現れるから。
でも、それはどの地域でもそうなのかな。

こうやって文章にしていても、難しいなと思う。

正解はないし、すぐにどうにかできる問題でもない。
それでも自分に何かできないのかなと考えてしまう。

何か、できたらいいな。

 

<2020年8月13日 12:48 noteにて>

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