変な声の私を救った人たち

変な声の私を救った人たち

私、声が変なんです。
喉に突っかかる感じで上手く発声できないときがあります。
もう5年くらいこうなんです。

地元にいたときも、上京してからも、色々な病院に行きました。
「喉自体に異常はない」「精神的なもの」
そう言われて時間が過ぎていきました。

きっかけは高校の時、風邪を引いて声が出ないのに無理してバイトをしたから。
あのときから喉の使い方を忘れて生きている気がします。

最初の頃、親にも「腹から声出せばいいんだよ」「ボソボソ喋るな」「聞こえない」とたくさん言われました。

大学のバイト中も「声大丈夫?」「のど飴いるかい?」と優しい人の言葉に少し傷ついていました。すごく、良い人たちなのに。

私にとって「今日は調子良く声出るぞ」と思った日に限って、他人から心配されてしまう日々が続いていました。

その心配の言葉はその人にとって1回目だとしても、私にとってはもう何回聞いたのかわからないのです。

 

 

ここ数年、何回も悩んで何回も辛いときがありました。
もう治らないんだなと悲しくなるときもありました。

色々調べるうちに、これなのでは?という名前を見つけました。
その症状名を頼りに都内で病院を見つけ、通院をしていました。(私は完治しているわけではないので、具体的な名前は伏せておきます)

それでも発声トレーニングで緩和するだけでした。手術で一気に治るものではないのです。

「やっぱりもう一生付き合わなきゃいけないのか」と覚悟しました。

 

ちょうどその頃、3個下の後輩たちと仲良くなる機会がありました。私を慕ってくれる子ばかりでした。

そのうちの一人と遊びに行った帰り道、電車を待っていたホームでふと言われました。

「先輩の声が好きって○○とよく話すんですよ」

私にとってはありえない言葉でした。
ずっとずっと、変な声だと思ってきたから。

すごくびっくりしてしまって、私は泣きそうになりました。今までの全てを肯定されたような感覚でした。

私にとっては大革命の日でした。

 

 

バイトのとき、仲の良い後輩ちゃんにその話をしました。

「私も結構好きですよ」

またまた大革命でした。

 

 

最初の後輩が言っていた○○くんと遊びに行った時も言われました。

「先輩の声が好きです」

公園のベンチで私は本当に泣きそうになりました。「ありがとう」と言うことしかできませんでした。

 

 

これらをきっかけに、私は私が思っているよりも大丈夫なのかもしれないと思えました。
一生付き合わなきゃいけないと思っていたこの声も、好きだと言ってくれる人がいるなら大丈夫だと。

あの日から私は自分の声を気にしなくなりました。
これでもいいんだと思えるようになりました。

いまだに緊張すると声は詰まります。
上手く出ないときが多いです。

でも、生きていけます。

 

 

今、私はその○○くんの隣で生きています。

私の声を好きだと言ってくれる人の側にいる限り、嫌いだったこの声も少しだけ好きでいられています。

 

 

私の心を救ってくれた人たちに感謝しています。
ありがとう。

 

<2020年9月4日 14:01 noteにて>

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