きっと私は東京に染まれない

きっと私は東京に染まれない

昨日、恵比寿へ行った。
東京都写真美術館の森山大道展を観に行くために。

展示はすごく勉強になったし、スナップ写真の難しさを痛感した。
あと、帰り際のスタッフさんの数に圧倒された。
高級ホテルのお見送りか?って思った。(ひたすら「すみません」「どうも」と会釈してた)

その後は、ビール苦手なくせに「ちゃんとしたところでなら飲めるのでは」とエビスビール記念館に行った。
仮説通り美味しく飲めたのだが、その後の喉の苦みに悶えた。まだまだビールは嗜めなさそうだ。

近くの三越は出入り口が限られてて迷路みたいになってたし、ガーデンプレイスのスカイラウンジ的なとこは閉まってたし、このご時世ならではを感じた。

夜はずっと行きたかった写真食堂へ。
大好きな川内倫子さんの写真集を読み漁れたので大満足だった。

知ってはいたが、常連さんの多いお店なので後ろでは話が盛り上がっていた。
盗み聞きせずとも耳に入り込むので、ふむふむと聞いてしまった。

なんていうか、こういう場所で暮らせたり、馴染むことができる人というのは、それだけで私とは違う世界に生きているのだと思った。

お店に行くとき高級住宅街を歩いたのだが、ここに住んでいる人は私と価値観が違うのかなぁと。
生まれたときからこういう場所で過ごすだけで、もうそれだけで恵まれているんだよ。

環境というものは、どれだけ人生に影響するのか。
都会寄りの田舎者としては、なんとも言えない気持ちになるのだ。

結局私はこういう場所に馴染むことはできない、と本能的に理解しちゃうのだ。悲しきかな。

仕事終わりに全面ガラス張りで外から丸見えなところで運動するとか、高級車買うとか、高級住宅街に住むとか、私はそういうことをまったく望んでいないのだろう。

望んでいないというか、少し羨ましい気持ちもあるのかもしれない。

でも、その羨ましさは私にはできないということであって、どう考えてもそれをする私は私らしくないし、考えるだけで心がむず痒くなる。気持ち悪くなる。

さっきから勝手に書いているが、そういうことをする人を批判しているわけじゃない。
そういう人たちはそういうことが好きだからしている。私はそうじゃないだけ。

もちろん、私の好きなことはそういう人たちにとってむず痒いものなのだろう。

とにかく、生きている階層が違うのだ。

海の中でも、深くなればなるほど生きていける生物が変わる。
太陽に当たったほうがいいんだと、深いところでしか生きていけないものを引き揚げたらどうなる。
もうそれはエゴによって死んでしまう。

根拠もなにもないけれど、なんかそういうことだと思う。

きっと、そういう人たちはたくさん動いて、たくさん何かをすることが幸せなのだ。

 

私は、深く暗いところで黙々としたいことをしているのが幸せなのだ。

今の世の中は太陽に当たることが正しくて、そうじゃないと生きていけない。
私みたいな人にとってはとても生きづらいし、だから生きていけないのかもね。

東京って顕著にそういう部分が現れているから、息苦しくなるし、私は一生染まることはないんだろう。

でも私は東京という場所を素晴らしいと思っているし、ここで育った人はとんでもなく恵まれていると知ってほしい。

ただ私はそうじゃないだけなのだ。

 

 

 

ちなみに、恵比寿駅までの道のりで5カ所蚊に刺されてました。
良い虫除けスプレー知ってる方いましたら、ぜひ教えてください。

 

<2020年7月22日 11:43 noteにて>

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