自分にとっての正しさ

自分にとっての正しさ

自分のことを、心の綺麗な人間だと思っている人はあまりいないだろう。
私自身もそうだ。

というか、そんなこと言っている人がいたら「絶対何か裏あるだろ」と言いたくなる。
不審すぎるだろ。
絶対話聞いてるうちに幸せになる壺とか用意されるわ。(偏見)

このように、あまりにも清廉潔白な部分をさらけ出しすぎると、人間不信感を抱くのだ。
当たり前だよね。

しかし悪意を出しすぎるのも良くない。
そんな人の周りには人も集まらない。楽しくもないし。(例外もある)

どちらかといえば悪いことのほうが目につきやすい世の中で、人はどのようにいるべきなのか。
本当難しい世の中だよね。

でも私はせめて正しく生きていたい。

それは世の中の正しいもあるけれど、自分にとっての正しい道を行きたい。

人によってはそれを悪いこととするかもしれないけれど、私にとって正しけりゃそれでいいのだ。(犯罪や、人に迷惑かけなけりゃ良い)

日々、良いことに目を向けていたいとも思う。

小さな花にも、はしゃいでいる子供にも、綺麗な景色を見た時も、素晴らしい映画を観て製作に関わっている人の多さに感動することも、全部良いこととして見ていたい。

小さなことでも感動していたい。

もちろん、悪いことから目を逸らさないことも大事だ。

目の前で起きた嫌なことも、目を覆いたくなるような事件も、今もどこかで起きていること、身近な人の悲しみも逸らさずに受け止めたい。

だから私は今の情勢について毎日見ているし、わからないことは調べている。

自分の身に起こっていなくても、それを喜んだり悲しんだりすることはできる。人間なら。

世界の全てを理解することは難しくても、今の世界について知ることはできるはず。

昔、オリンピックの開催期間に同級生に話しかけたら「へぇ、今オリンピックやってるの?」と言われたことがあった。

そのとき私は「どんなに世の中が情報に溢れていたとしても、それを知らない人は一定数いる」ということを知った。

同時に、私は絶対に今の世界について知ってる側にいたいと思った。

だから私は毎日のニュースをある程度知っておくし、小さなことも見逃さないようにしている。

 

 

自分にとっての正しさを歩くために。

 

<2020年7月11日 14:28 noteにて>

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